宮崎への伝来
たばこが宮崎県に伝来したのは、日本に伝わった慶長年間(1596年~1614年)で、時代の特定に疑問を残しながらも、初植地・ルーツは、三田井(高千穂町)と倉岡(旧東諸県郡・現宮崎市)と見られる。 そこから、県内各地に伝播していった。
当時は、専ら進物に供される高級品、貴重品であり、作付面積の規制もなく、年貢運上の義務もなかった。
明治に入り、政府が国土のデータ収集を命じ、宮崎県のたばこは、「物産」品として集計が行われた。
換金作物として、当時農村経済を支えていたのは、茶(727町歩)、大麻(568町歩)に次いでタバコがあり、その他、こうぞ、みつまた、こんにゃくがあった。
明治17年の統計では…
県合計 545町歩
西臼杵郡 | 児湯郡 | 宮崎郡 | 東諸県郡 | 西諸県郡 | 北諸県郡 | 東臼杵郡 | 南那珂郡 |
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329町歩 | 53町歩 | 43町歩 | 38町歩 | 33町歩 | 22町歩 | 18町歩 | 8町歩 |
組合の沿革
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- 創成期 明治41年(1908年)~昭和2年(1927年)
明治41年6月15日、高千穂煙草耕作組合の発足以降、たばこ生産先進地・西臼杵、児湯、宮崎、西諸4郡に28単位組合と県内初の連合組織として西臼杵郡煙草連合会が発足した。
昭和2年2月11日には、「宮崎縣たばこ耕作連合會」が発足した。 - 拡大期 昭和8年(1933年)~昭和25年(1950年)
県北で残っていた東臼杵郡、西諸を除く県西南部で一斉にたばこ生産が始まった。この17年間に新たに46単位組合と6郡連が発足、創成期を合わせた宮崎県内の耕作組合は、史上最多の82組合となった。
- 発展期 昭和33年(1958年)~昭和60年(1985年)
昭和33年5月2日、「たばこ耕作組合法」が制定、公布された。宮崎県では82組合を7ブロックに集約、新たに7地区組合1連合会が設立された。
連合会 宮崎県たばこ耕作組合連合会 地区組合 - 宮崎地区たばこ耕作組合
- 児湯たばこ耕作組合
- 高千穂地区たばこ耕作組合
- 北諸地区たばこ耕作組合
- 西諸地区たばこ耕作組合
- 串間地区たばこ耕作組合(37年に「南那珂地区」と改称)
- 東臼杵地区たばこ耕作組合(s.60年3月に「児湯耕作組合」と合併)
- 成熟期 平成元年(1989年)~現在
- 宮崎県たばこ耕作組合
平成元年
8月1日宮崎県内6地区組合、1連合会の合併により設立
県内9支所体制(本所・宮崎・田野・国富・西都・高鍋(門川)・高千穂・都城・小林・串間)平成24年 本所・北部・南部 2支所体制へ再編 令和4年
1月本所へ業務機能を移転(北部・南部支所体制を廃止)
- 宮崎県たばこ耕作組合
- 創成期 明治41年(1908年)~昭和2年(1927年)
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